最覚寺について

当山最覚寺は、川越町豊田に座す、浄土真宗本願寺派の寺院です。鎌倉時代初期の頃から、道場(信仰心をもつ人々の集会所)として機能しており、明治時代に京都の御本山から山口県出身の僧侶を招き、寺院となったと、町史に記載されています。

豊田区のご家庭の多くは、自坊とは異なるお寺がおてつぎでありますが、自坊の檀家であるかないかに関わらず、『在所である豊田のお寺』として、お葬儀や年忌法事にも招いてくださり、親子数代にわたり自坊を大切にお守りくださいました。

寺院の存続にあたっては、平成初期の山門建替えを含めた大きな修繕事業や法要など、地区内役員・住民の方々のご協力をいただいてまいりました。お寺の役員についても、『世話方衆』など、他門徒も含めた方々から成る地区内団体に、お世話をお願いしています。
このような、地域のお同行による護持・発展活動のおかげで、現在の第七世住職まで、ご法義の相続ができています。

最覚寺

最覚寺の歴史

三重県庁に報告の町史、その他有志編纂による地区歴史書より

歴史 沿革

1267年 地区の要請により、寺(道場)として建てられ、地区民の信仰の場であった
以降長きにわたり、最覚寺の門徒檀家であるなしに関わらず、地区民によって護持発展活動がなされていく
1692年 道場(本堂)再建される(5間×6間)
1860年 道場(本堂)改築が始まる。1862年完成
1880年 現在の『寺院』としての本堂、建立
1882年 『最覚寺』の寺号を、京都下京区東若松町から譲り受ける
1883年 当山開基とされる専明法師、寂。
1884年 当山第2世となる冨永照山氏、入山し、得度。
法名・釋照山
(修行・員弁郡梅戸井連成寺)
1887年 三重県庁に宗教法人の報告をし、受け付け完了
1893年 本山より『寺院』として認められる
1915年 本堂拡張する
1920年 当山第3世となる新宅清人、入山(広島県)
改名し、冨永照雄となる。法名・釋照雄
1921年、住職に
1937年 鐘楼を改築
1947年
梵鐘を新造 旧梵鐘は戦時中に供出したため
梵鐘
1950年 照雄の長男・清昭、和田妙子と結婚
1961年 照雄寂。冨永清昭、第4世住職へ。法名・釋清昭
1968年 清昭寂
1975年 武藤幸久、入山し、清昭の長女・史と結婚。第5世住職へ。
1976年 豊田山最覚寺の寺標石碑を新造。
1982年 当山開基・専明法師の百回忌を厳修。
記念事業として、世話方衆の寄進による門前掲示板、電灯を設置
1988年 冨永史、第6世住職へ。法名・釋董史
2021年 史寂。史の次女・冨永悠子、第7世住職へ。法名・釋悠子(当代)
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